わたしについて

8月15日/終戦記念日と生き残った両祖父

奇跡の連なりの上に
いるということ。

8月15日、
今日は74年目の終戦記念日です。
 


幼い頃、忙しい母に代わり私は同居の祖父や祖母によくお風呂に入れてもらったりしていた。
お風呂に入る度に見るおじいちゃんの身体。

優しい祖父、憲一おじいちゃんのどてっ腹には派手な引き連れた弾痕があった。
どうやらそれは「戦争」というものによってつけられた跡らしい。
戦争とはよくないものだ。

幼い私からすればその時は
そういうぼんやりという印象であった。

憲一おじいちゃんは積極的に話すでもなく、かと言って頑なに口を閉ざすでもなく、大事な事だと数回話してもらった気もするけれどとても遠い記憶であまりハッキリ覚えていない。

 
憲一おじいちゃんも近所の母方の祖父の久おじいちゃんも、身体はあまり丈夫な方ではなかったらしい。

だからこそ生き残った、
とも言える。
 
 
健康な若い者こそが
真っ先に死に特攻していく。
戦争の不条理だ。 

 

憲一おじいちゃん身体のせいで乗るはずだった
飛行機に乗れなかった、と言っていた気がする。
乗っていたら死んでいた。
 
 
母方の祖父、久おじいちゃんは海軍で船に乗るはずだったが、マラリアにかかり病院で療養している間に船が出てしまったと。
そしてその船は沈没することとなる。

 
いずれにしても
両祖父は紙一重で生き残った。
ちなみに憲一おじいちゃんの兄は戦死している。
 
そう考えると、
ものすごい奇跡の連続の上にいるんだなぁと思わざるを得ない。
もちろん私だけ特別な訳はなくて、
「あの時、死んでいたかもしれない」
そんな体験をくぐり抜けて生き残った人たちばかりなのではないのかなと思う。
 
 

おじいちゃんのどちらが戦死しても
私はこの世に生まれることはなかった。
 
 
逆を言えば、
若くして亡くなっていった方たちは
生きてさえいれば誰かと結婚し、子を授かったかもしれない。
そしてその子もまた更に子を生み育てていたかもしれない。

失った人以上に夥しい数の人間の未来が戦争によって奪われた、
ということだ。
 
 
1年に1度、これほど強く自分の命の重さについて考えさせられる日もない。
 
生きたかった人の未来を
自分たちは今日も生きている。
 
 
両祖父はもう随分と前に、私の結婚を見る間もなく他界してしまった。母方の祖父、久おじいちゃんは生前より大学に※献体を申し出ていたので亡くなってすぐお葬式とはならなかった。そういう人だった。

“献体とは、医学および歯学の発展のため、また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って医学部・歯学部の解剖学教室などに提供することである。

両祖父とも凛として穏やかな人で
晩年は双方、孫に囲まれゆっくり過ごしました。 
 
 
皆さんは戦争の体験を身近な人から聞いたことはありますか? 
意外と母親とか父親はおじいちゃんやおばあちゃんから聞かされて覚えてることもあるみたい。
一度聞いてみてくださいね。
 
 
命を懸けてこの国を支えた全ての方に
感謝を。
何の罪もなく散っていった命たち
どうかどうか、
安らかにお眠りください。

 
 

そして
生きてこのブログ記事を
読んでくれてるあなたの奇跡にも乾杯。

私は私で
がんばって生きていきます!
押忍!!!!! 


ABOUT ME
岩田真悠子 IWATAMA
岩田真悠子 IWATAMA
喫茶店とコーヒーをこよなく愛す、女性向けデザイン&イラストを得意とするデザイナー。/////【趣味】看板を写真におさめること【特技】フォークリフト運転 ///// 料理の失敗がいささか派手でして#料理の神に呪われし女シリーズがご好評いただいており次回作を待たれる日々です。
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